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横浜地方裁判所 昭和63年(レ)73号 判決 1989年9月25日

控訴人 佐藤四郎

<ほか三名>

右四名訴訟代理人弁護士 大澤公一

被控訴人 県央愛川農業協同組合

右代表者理事 市川武

右訴訟代理人弁護士 土屋博昭

主文

一  本件控訴をいずれも棄却する。

二  控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、控訴人佐藤四郎に対し金三六万円、その余の控訴人らに対しそれぞれ金一八万円及び右各金員に対する昭和六二年一月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  控訴の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  佐藤信夫(以下、亡信夫という。)は、昭和五八年三月二日、被控訴人との間で、預金権利者を亡信夫個人とする普通預金契約を締結し、口座名義を「日々良野土地改良区佐藤信夫」、口座番号を一二二二八五七三とする普通預金口座(以下、本件預金口座という。)を被控訴人の半原支所に開設した。

2  亡信夫は昭和五九年六月四日死亡し、同人の妻である佐藤京子が八分の四、子である控訴人佐藤四郎(以下、控訴人四郎という。)、同佐藤昌代、同佐藤重信及び同武井光代が各八分の一の割合で、それぞれ相続により亡信夫の権利義務を承継した。

3  被控訴人は、農業協同組合法に基づき設立された農業協同組合であり、同法により金融業務を認められた金融機関であるから、顧客との間にした預金取引及びこれに関連して知り得た情報を正当な理由なく他に洩らしてはならない秘密保持義務がある。

しかるに、被控訴人の半原支所の職員(氏名不詳)は、昭和五九年七月、小島利徳及び小島弘道に対し、何ら理由もないのに本件預金口座の内容についてコンピュータに記憶された元帳のコピー(昭和五八年三月二日から昭和五九年四月一一日までの取引を記載したもの)を交付して、右内容を亡信夫の相続人以外の者に漏洩した。

4(一)  本件預金口座には、被控訴人から昭和五八年三月二日に三〇〇万円、同月二四日に二五〇万円、同年六月一三日に五〇万円がそれぞれ入金されていたが、これは、被控訴人が、条件付所有権移転の仮登記を有する神奈川県愛甲郡愛川町半原字日々良野所在の農地について、農地法三条の許可を得て本登記手続をするために、各地権者の右手続への協力が得られるよう亡信夫にその取りまとめを依頼し、これに要する判子代及び諸費用代として亡信夫に支払ったものであった。

(二) ところが、被控訴人の前記漏洩行為により右入金の事実及びその金額等を知った小島利徳ら地権者は、昭和五九年六月二三日頃から四回にわたり事情を知らない控訴人四郎を呼び出し、「未払金がある。」などと主張して控訴人四郎を多数で詰問し、また、亡信夫から一人あたり約一〇万円しか受領していないから未払金があるとして、昭和五九年八月二三日、亡信夫の承継人である佐藤京子及び控訴人らを相手に厚木簡易裁判所に対して和解金請求の調停を申立て、更に、昭和六〇年四月二七日、佐藤京子及び控訴人らを相手に横浜地方裁判所小田原支部に対して和解金未払金請求の訴えを提起した。

(三) このように、佐藤京子及び控訴人らは、被控訴人の前記漏洩行為に起因して、小島利徳らから不当な要求や調停申立、訴え提起を受けて同人らとの間で紛争を余儀なくされ、愛川町半原地区で「村八分」に近い状態で扱われるようになったものであり、これにより多大な精神的損害を被った。

右精神的損害を金銭的に評価すると、佐藤京子及び控訴人ら各自について金一八万円を下ることはない。

5  佐藤京子は昭和六二年五月一八日死亡し、子である控訴人四郎が相続によりその権利義務を承継した。

6  よって、控訴人らは、被控訴人に対し、前記預金契約の債務不履行による損害賠償請求権に基づき、控訴人四郎について三六万円、その余の控訴人についてそれぞれ一八万円及び右各金員に対するそれぞれ本件訴状送達の日の翌日である昭和六二年一月二九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3  同3のうち、被控訴人が農業協同組合法に基づき設立されたものであることは認めるが、被控訴人が控訴人ら主張のような秘密保持義務があることは不知、その余の事実は否認する。

4  同4につき、(一)の事実は認める。(二)のうち、小島利徳ら地権者が控訴人ら主張の調停を申し立て、訴えを提起したことは認めるが、小島利徳らの地権者が被控訴人の漏洩行為により本件預金口座への入金の事実及びその金額等を知ったとの点は否認し、その余の事実は知らない。(三)は争う。

小島利徳ら地権者が控訴人らに対し訴訟を提起したのは、そもそも亡信夫が被控訴人から判子代等として総額六〇〇万円を受領しながら、地権者に右総額を一五〇万円から一六〇万円である旨虚偽の説明をしたうえ、地権者一名に約一〇万円を配付したにすぎなかったという亡信夫の不誠実な所為が原因であるから、控訴人らに生じた損害は法的に保護されるものではない。

また、右のとおり、訴訟の提起等は、亡信夫が被控訴人から判子代等として受領した総額が六〇〇万円であるとの事実を地権者らが知ったことが原因であるが、小島利徳は、既に昭和五八年一〇月頃、被控訴人の専務から右総額が六〇〇万円であることを聞いているのであるから、被控訴人が本件預金口座の元帳のコピーを小島利徳らに交付したことと同人ら地権者の控訴人らに対する請求との間に因果関係はない。

5  同5の事実は認める。

三  抗弁

仮に被控訴人の半原支所の職員が、控訴人ら主張の元帳のコピーを小島利徳らに交付したとしても、

1(一)  被控訴人が条件付所有権移転の仮登記を有する神奈川県愛甲郡愛川町半原字日々良野所在の農地について、農地法三条の許可を得て本登記手続をするためには、小島利徳ら地権者の右手続への協力が得られることが必要であったことから、被控訴人は、昭和五八年二月二一日頃、亡信夫に地権者への取りまとめを一任して同人にいわゆる判子代その他の諸費用を支払うことを約し、同年三月二日とりあえず右諸費用の内金として三〇〇万円を支払うこととし、その際亡信夫の申入れにより、その支払金の受入れのための預金口座として本件預金口座が開設され、三〇〇万円が入金されたものである。そして、被控訴人は、同月二四日、右諸費用として二五〇万円を追加して本件預金口座に入金し、その後亡信夫との間で前記判子代等諸費用の総額を六〇〇万円とすることが合意され、同年六月一三日残金五〇万円を本件預金口座に振り込んだ。

本件預金口座は、右のとおり判子代等の受入れを目的とし、かつ「日々良野土地改良区」との肩書を付して開設された預金口座であり、その法律上の預金者が亡信夫個人としても、純粋に亡信夫の個人的な預金口座とは区別されるべきものであるから、特に地権者に対しては預金口座の秘密が保護されるべきものではない。

(二) 亡信夫は、愛甲郡愛川町日々良野土地改良区(以下、日々良野土地改良区という。)の理事長であった者であり、元帳のコピーが交付されたという小島利徳及び小島弘道はいずれもその副理事長であった者である。

(三) 小島利徳ら地権者は、亡信夫を含めて全員被控訴人の組合員であり、被控訴人は毎事業年度に一回通常総会を招集し、決算関係書類を提出し、閲覧等をさせる義務があるから、被控訴人の事業遂行上なされた前記六〇〇万円の支出は、組合員に対する秘密事項ではない。

(四) 以上からすると、被控訴人の半原支所の職員が、控訴人ら主張の元帳のコピーを、日々良野土地改良区の副理事長で、地権者であり、また被控訴人の組合員でもある小島利徳及び小島弘道に交付したことは、正当な行為であって違法性はない。

2(一)  亡信夫は、本件預金口座の開設にあたり、特に「日々良野土地改良区」と肩書を付して、純個人の預金とは区別されるものであることを少なくとも被控訴人に対し表示した。

(二) 昭和五八年当時、客観的には既に日々良野土地改良区は解散し、所定の手続を終えて法人格は消滅していたが、右法人格のあった時代から、被控訴人に対する預金口座として「日々良野土地改良区」との肩書を付した個人名の口座が数口存在し、右昭和五八年当時も「日々良野土地改良区小島弘道」名義の預金口座は取引が継続されていた。

(三) また、右法人格消滅後、右預金等未処理事項があったため、日々良野土地改良区は任意団体として残務処理に当たっており、実質上なお存続していた。

(四) このような事情からすれば、被控訴人又はその職員にとって、本件預金口座の法律上の契約者が亡信夫個人であるか日々良野土地改良区であるかの判断は容易ではなく、控訴人ら主張の被控訴人が本件預金口座の元帳のコピーを小島利徳らに対して交付したことはやむを得ないものであって、被控訴人には責に帰すべき事由がない。

四  抗弁に対する認否

いずれも否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1(預金契約)及び同2(亡信夫の死亡による承継)の各事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、請求原因3(預金内容の漏洩行為)について検討する。

被控訴人が農業協同組合法に基づき設立された農業協同組合であることは当事者間に争いがなく、同法一一条一項一号、二号によれば、被控訴人は金融業務を認められた金融機関であるということができる。そして、金融機関は、顧客との間になした預金取引及びこれに関連して知りえた情報を正当な理由なく他に洩らしてはならない秘密保持義務があるというべきであり、この義務は法的な義務であるといえる。

また、《証拠省略》によれば、被控訴人の半原支所の職員(氏名不詳)は、昭和五九年七月中旬頃、本件預金口座の内容についてコンピュータに記憶された元帳のコピー(昭和五八年三月二日から昭和五九年四月一一日までの取引を記載したもの)を小島利徳、小島弘道に交付したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  すすんで、右交付行為のなされた経緯について検討する。

前記争いのない事実に、《証拠省略》を総合すると、以下の事実が認められ、右認定に副う事実に関しては、これを覆すに足りる証拠はない。

1  昭和五一年八月、土地改良法に基づき、神奈川県愛甲郡愛川町半原字日々良野所在の農地の改良事業を目的として日々良野土地改良区が設立され、認可を受けて事業を開始した(理事長は亡信夫、副理事長は小島利徳、小島弘道)が、換地処分が完了した昭和五五年一一月二七日、日々良野土地改良区は解散決議をし、昭和五六年七月一〇日に結了総会が開催され、同日をもって法的には清算手続も終了した。

日々良野土地改良区と被控訴人の前身である愛川町農業協同組合(昭和五七年七月一日に中津農業協同組合及び高峰農業協同組合と合併して被控訴人組合となった。)との間において、昭和五三年頃から、利用者番号〇一六一〇三四四によるものとして①「日々良野土地改良区佐藤信夫」名義(取引開始日昭和五三年一〇月三一日)、②「日々良野土地改良区小島利徳」名義(取引開始日昭和五四年二月一九日)、③「日々良野土地改良区佐藤信夫」名義(取引開始日昭和五四年二月二二日)、④「日々良野土地改良区佐藤信夫」名義(取引開始日昭和五四年五月二五日)、利用者番号〇二〇〇八二二五によるものとして⑤「日々良野改良区小島弘道」名義(取引開始日昭和五五年五月九日)の各口座による預金取引があり、前記日々良野土地改良区の結了総会開催時には右①ないし③の各口座による預金取引は既に取引が終了していたが、右④の口座による取引はその後の昭和五七年一二月二八日に終了したものであり、昭和五八年三月当時には右⑤の口座による取引のみがなお継続していた(右⑤の口座による取引が終了したのは昭和六二年八月七日である。)。このように、日々良野土地改良区は、法人格としては既に消滅していたが、その後も相当期間にわたって事業上清算未了の預金を有していたものであった。

2  被控訴人は、昭和五八年二月頃、条件付所有権移転の仮登記を有する神奈川県愛甲郡愛川町半原字日々良野所在の農地について、農地法三条の許可を得て本登記手続をする必要が生じたが、日々良野土地改良区の理事長であった亡信夫から本登記手続をするについて自分がまとめても良い旨の申入れがあったので、右本登記手続をするため、被控訴人は、亡信夫が日々良野土地改良区の理事長や町議会議員を務め、いわゆる地元の名士であったことから、各地権者から右手続への協力が得られるよう、同人にその取りまとめを依頼した。なお、右農地には、日々良野土地改良区の改良事業によって生じた余剰地(縄延び分)を、日々良野土地改良区が亡信夫、小島利徳、小島弘道ら同改良区の理事の名義で換地し、昭和五五年四月頃これを愛川町農業協同組合に売り渡して条件付所有権移転の仮登記を経由したものも含まれていた。

亡信夫は、各地権者を取りまとめるためには、いわゆる判子代を各地権者に支払う必要があるとして、被控訴人にその旨申入れ、被控訴人と数回協議した結果、各地権者に対する判子代及び諸費用としてとりあえず昭和五八年三月二日被控訴人から亡信夫に三〇〇万円が支払われることとなった。そこで、亡信夫は、右判子代等の支払を受けるため、亡信夫の申入れで、被控訴人の半原支所に、被控訴人と日々良野土地改良区との間で昭和五七年一二月二八日まで取引があった「日々良野土地改良区佐藤信夫」名義の預金口座(前記④の預金口座)と同じ名義で、届出印も同じ亡信夫の私印を用いた本件預金口座を新規に開設し、この口座についても右④の預金口座と同じ従前の利用者番号〇一六一〇三四四が付せられた。同日、被控訴人から本件預金口座に三〇〇万円が入金され、更に、同月二四日には右判子代等の追加分として二五〇万円が入金され、その後被控訴人と亡信夫との間で判子代等の総額を六〇〇万円とすることが合意されたことから、同年六月一三日には本件預金口座に残金五〇万円が入金された。

亡信夫は、昭和五八年三月頃から同年六月頃までの間、被控訴人から受け取るべき右判子代等の総額六〇〇万円については秘したまま、亡信夫以外の地権者である小島利徳、小島弘道ら十数名に判子代として総額二五四万円(その多くは一人当たり一〇万円)を支払って本登記手続のための必要書類を受け取り、その結果同年六月二七日に農地法三条の許可が得られ、その後間もなく本登記手続も行われた。

3  小島利徳は、昭和五八年一〇月頃、当時被控訴人の専務理事であった市川武から、被控訴人が亡信夫に判子代として総額六〇〇万円を支払ったことを聞いたが、その点については後日亡信夫に確かめることにして、当時としては具体的に確認するようなことはしなかった。

その頃、亡信夫は被控訴人に対し、判子代として受領した六〇〇万円は地権者に支払ったが、これでは不足だとして更に三〇〇万円を支払うよう要求していた。被控訴人としては実際に地権者に支払われた判子代の総額は不明であったが、六〇〇万円については亡信夫の了解した金額であるとして、亡信夫の右要求に応じようとはしなかった。

4  昭和五九年六月四日に亡信夫が死亡したが、その葬儀に参列した小島弘道は、その折に被控訴人の参事であった古座野昭二から、亡信夫が生前被控訴人に対し、判子代六〇〇万円は地権者に支払ってしまったが、それでは足りず、あと三〇〇万円必要である旨要求したとの話を聞かされた。

小島弘道は、翌日、小島利徳方に赴いてそのことを話したところ、小島利徳、小島弘道の両名とも亡信夫から各一〇万円しか判子代をもらっていなかったので、他の地権者にも確認してみることにした。そこで、小島弘道は、亡信夫の葬儀から一週間位した頃、控訴人四郎方を訪れて、同控訴人に対し、話があるので同年六月二三日の午後一時三〇分頃から地元の児童館で集まってくれとの連絡をするとともに、他の地権者にも同様の連絡をした。

右六月二三日に控訴人四郎が地元の児童館に赴いたところ、小島利徳、小島弘道ら地権者約一二名が集まっており、各自が亡信夫から判子代としてもらった金額を報告したが、控訴人四郎は亡信夫から判子代のことを聞いていなかったので、知らない旨答えたところ、領収書を探しておくようにと依頼された。なお、この日報告があった金額は総額でも約一五〇万円程度にしかならなかった。

次の会合は、同年七月二日に持たれたが、控訴人四郎は、依頼された領収書は探したが見つからなかったので、その旨小島利徳らに話したところ、同人らから亡信夫が判子代六〇〇万円のうち相当な額を横領したなどとして非難された。

5  小島利徳と小島弘道は、前記二回の会合の結果判子代についてますます疑念を深めたので、同年七月中旬頃、被控訴人の本所に赴き判子代のことを確かめるためその旨の書類を要求したところ、被控訴人の本所の職員である新井から日々良野所在の畑について仮登記を本登記にすべく印代外雑費として六〇〇万円が本件預金口座に支払われている旨記載された支出禀議書のコピーの交付を受けたが、預金通帳については、その場に居合わせた職員から「被控訴人の半原支所にあるのでそこへ行ってみたらよい。」と言われたので(右発言が誰からなされたかは不明)、早速その足で被控訴人の半原支所へ出掛けた。

半原支所で小島利徳と小島弘道は、「本所から支出禀議書をもらって来たのでそこに書いてある通帳の内容を教えてくれ。」と話をしたところ、半原支所の職員(氏名は不詳)は、本件預金口座の内容についてコンピュータに記憶された通帳の元帳のコピー(昭和五八年三月二日から昭和五九年四月一一日までの取引を記載したもの)を小島利徳らに渡した。

当時、小島利徳及び小島弘道の両名が日々良野土地改良区の副理事長であった者で、理事長であった亡信夫死亡後は、右両名が事実上日々良野土地改良区の代表者として行動していたことは、被控訴人の職員らにも十分知られていた。

6  同年七月二三日に、地元の児童館で小島利徳や小島弘道ら地権者と控訴人四郎も含めて会合が持たれたが、控訴人四郎以外の出席者は前記支出禀議書のコピーや本件預金口座の元帳の内容をコピーしたものを持っていたので、控訴人四郎は、自分にも欲しいと申し出たが拒否されたため、翌日、被控訴人の半原支所に赴き、小島利徳に渡したものと同じものを交付してくれるよう頼んだところ、「組合員ならばいつでも出す。」と言われ、本件預金口座の元帳の内容のコピーの交付を受けた。

また、控訴人四郎は、同年八月三日頃、被控訴人から亡信夫に判子代として六〇〇万円が支払われた旨記載された証明書の交付を受けた。

なお、小島利徳らは、最初に地元の児童館で会合が持たれたころから、県会議員を介して控訴人四郎らに判子代として地権者にあと二〇万円位出してもらえないかと交渉したが、控訴人らは、本件預金口座は亡信夫個人のものであり、控訴人らには預かりしれないことであるとして、右要求を拒否した。

そこで、小島利徳、小島弘道ら地権者は、亡信夫から一人あたり約一〇万円しか受領していないから未払金があるとして、昭和五九年八月二三日、亡信夫の承継人である佐藤京子及び控訴人らを相手に厚木簡易裁判所に対して和解金請求の調停を申立てたが不調となったため、昭和六〇年四月二七日、佐藤京子及び控訴人らを相手に横浜地方裁判所小田原支部に対して和解金未払金請求の訴えを提起した。

四  そこで、右認定事実をもとに、被控訴人の職員が、本件預金口座の元帳のコピーを小島利徳及び小島弘道に交付した行為について、責に帰すべき事由があるか否かについて判断する。

右認定事実によると、本件預金口座は、被控訴人が所有権移転仮登記を有する神奈川県愛甲郡愛川町半原字日々良野所在の農地について、農地法三条の許可を得て本登記手続をするために、日々良野土地改良区の理事長であった亡信夫に地権者らへの取りまとめを依頼するに際し、その判子代等を支払うため、亡信夫の申入れによって開設されたものであるが、その口座名義及び届出印は、当時法人格としては既に消滅していたものの、その二か月程前まで被控訴人と預金取引があった日々良野土地改良区のものと同一のものが使用されたことから、利用者番号も右預金取引があった当時と同一の番号が付され、従前被控訴人に存した日々良野土地改良区の預金口座と形式上全く同一のものとしての外観を呈することになったものであり、また、当時利用者番号、口座名義は異なるものの、被控訴人と日々良野土地改良区との間に取引が継続していた預金口座も現に存在し、このため、亡信夫の申入れにより「日々良野土地改良区佐藤信夫」名義で開設された本件預金口座については、それが日々良野土地改良区のものであるか亡信夫個人のものであるかの判断は容易でない状況にあったというべきである。そして、本件預金口座の元帳のコピーを要求した小島利徳及び小島弘道はいずれも日々良野土地改良区の副理事長であった者であり、被控訴人が亡信夫に判子代等として六〇〇万円を支払ったこと自体は、既に被控訴人から右両名に伝えられていた事項であるが、右両名としては、亡信夫が右受領にかかる判子代等を地権者に十分な配分をしていないことが判明したことから、判子代等を支払った被控訴人に禀議書の提出を求め、右禀議書を持参して、本件預金口座の存する被控訴人の半原支所の職員にその禀議書に記載された本件預金口座の開示を求めたものであって、被控訴人及びその職員にとって、小島利徳、小島弘道の両名がもと日々良野土地改良区の副理事長で、理事長であった亡信夫死亡後右改良区の事実上の代表者として行動していることは十分知っていたものである。

そうすると、既に本件預金口座の預金内容である六〇〇万円の入金の事実を知っていたもと日々良野土地改良区の副理事長である小島利徳、小島弘道の両名から、「日々良野土地改良区佐藤信夫」名義の本件預金口座の元帳の開示を求められた被控訴人の半原支所の職員が、前記状況の下でその要求に応じて右元帳のコピーを両名に交付したことは、やむを得なかったものというべきであり、右交付行為について被控訴人には責に帰すべき事由はないというべきである。

五  以上によれば、控訴人らの請求を棄却した原判決は正当であり、本件各控訴は理由がないから民事訴訟法三八四条によりこれらをいずれも棄却することとし、控訴費用の負担につき同法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鎌田泰輝 裁判官 森髙重久 浦木厚利)

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